感想文#1

いつも拝読しているM先生のブログにこんなエントリーがアップされていてびっくりした。先日、私がお話しした内容の感想文。

タイトルは「衛生士として何を学ぶべきか?」
その感想文です。
さてそのFさんのお話の真意を汲み取れたか?(笑)
Fさんいかがでしょう?

つたない話の真意をくみ取っていただけて恐縮です。わたくし自身が「自分は一体何を話し出すのだろう」とわからぬまま、「自分はそんなことを考えていたのか」と脳裏に浮かべて、脈絡のない話を口にしました。なので衛生士のお二人がどのようにうけとめていただいのか拝読でき、満腔の感謝の意を捧げます。

歯科医院に来られる様々な患者様。
色々な性格の、色々な考え方の、色々な想いを持った患者様に対し、私たち歯科衛生士は技術は勿論、その一人一人の患者様は何を期待して歯科医院に来られるかを考えなくてはならないと思います。
満足して治療に通い続けていかれる為には、衛生士としてどのような事に情熱を注げばよいのか?

「様々」のなかに秘するのが「差異」だとわたくしは思います。先日の冒頭、わたくしが質問したとき、お二人が現在気になることと、わたくしが話そうとしていた内容に「差異」がありました。

「差異を感じる」こと。今のわたくしに課していることばです。なぜか?差異を受けとめたとき、はじめは「じぶんと違う」という事象にとまどいました。とまどいは、おどおどやそわそわ、うわずった声をもたらします。その身体から発せられる信号は相手に伝わります(臆断するにM先生へ来院される方々はそれを感じとるはずです)。

それが不安や不信、不快といった「不」を招きます。不をとりのぞく人が不を与える。皮肉だなぁと自己嫌悪に陥りました。だからわたくしは、「じたばたしないにはどうすればいいのか?」を模索しています。といっても、今でもジタバタします。しかし、それをコンマ何%でもいいからなくしていきたいと五臓六腑においています。

じたばたしないとは、「いかなる状況においても平常心を保つこと」だと愚考しています。では、その平常心は?

自問してもまったくわかりません。ただ、愚考に愚考を重ねますと、「今」だと受けとめています。先の余計なことを考えず、昔のことを考えず(考えずって”そのまま”受けとめないでくださいね)、「今」を全力に勤める(全力も適切な表現でないかもしれません…..淡々と、冷静に、とかも含まれる感じです)。そのための心身の錬磨だろうと誤解しています。

先日、「旅の香り」という番組で野際陽子さんが延暦寺へ参り、酒井雄哉大阿闍梨に拝顔しているシーンを眺めていました。酒井雄哉大阿闍梨は千日回峰行を2回終えた方です。これは開山以後、3人しかいません。

そんな方なのでさぞいかめしい面構えだろうと思いきや、これが好々爺と申しますか、ほんとうに「ぼぉ〜」としたような力の抜けきった立ち居振る舞いをされるのです。ほんとうにおどろきました。その「ぼぉ〜」というかまったく動じないふだんのままの「日常」が画面から伝わってきました。

そして酒井雄哉大阿闍梨は野際さんをある場所へと導きます。そこには二千足の草鞋が吊されていました。その草鞋が意味するところ「一日一生」だそうです。

大阿闍梨がおっしゃるには、「朝はいた草鞋が回峰行を終える夜にはボロボロになっている。そして、翌朝また回峰行に出発するとき、真新しい草鞋にはきかえている。そのとき、”ああ一日一生だなぁ”と思った」と(意訳してますのでスミマセン)。「一日一生」を文字にするとなんとなくうなづけます。でもその意味をひとたびつかもうとするとわたくしは右往左往してしまいます。それでも、そこにじぶんの根っこと表しましょうか、根源的な資質を涵養してくれる「何か」があるように思います。

知識と技術を持ち、患者様の気持ちを探り不安や疑問を聞きやすいよう。そして適切に、わかりやすく説明できることで安心して頂け、信頼関係が築けると思います。
医院に来られた時より満足した気分で帰っていただけるように、患者様に心から安心して信頼していただける衛生士を目指します。

すてきです!

そうなってくるともう「芸」だなぁと感嘆します。わたくしは「芸」についておりにふれひっぱってきて頭の片隅におくよう心がけています。にもかかわらず、いまだに「芸能」と「芸術」の距離感がわかりません(笑)

芸について600年前に記された世界に冠たる書物があります。

ああ、おっと、ずいぶん一気に書き上げてしまったようです。気づいていみると長文でした。また続きは次回にでも。