月別: 2007年9月

AがBであると唱える秀才

ネットの片隅の話題をかっされている橋下徹弁護士のブログを読んで(「原告らの非常識さの露呈」)、AがBであると主張する秀才だなぁと微笑した。この人がテレビに出演しているとき、芸人として眺めると安心して視聴しちゃう(何も不愉快な思いをしなくてすむから)。が、ひとたび弁護士のようなコメントが口から飛び出すと、AがBだと炸裂してバカな私にはわからない。

なぜか? AがBなクリアカットはわかりやすい。けどそこで停止する。今からバカが秀才をバカにするもんだからしっちゃかめっちゃかな文章になっちゃうのご容赦を。

橋下徹弁護士は「AがBである」という主張は得意(のご様子)。じゃぁ、それが幾十もの構造化された複文になったらどうだっけ。「AがBである」の中に「CがDである」が挿入されたり。おっと、とたんに感情で話をすすめる(ように映る)。だから秀才だなぁと思う。秀才はシンプルな論理で聴衆を魅了する。そして複雑な構造になるとシンプルな論理に感情をスパイス。さらに聴衆を魅了する。その論は「そうそうそれを言ってほしかったんだよ」という代弁。でも、その代弁している作為は「だろ、これを欲していたんだろ」と確信。作為を当為に誤解させる技法に長けているのが秀才。だから秀才と聴衆のあいだに批評は存在しない。では批評に遭遇したらどうするの?

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[Review]: 合気道とラグビーを貫くもの 次世代の身体論

合気道とラグビーを貫くもの 次世代の身体論 (朝日新書 64)

持病の腰が悲鳴をあげている。二週間ほどまえから痛みがましてきた。どうやら今までと違うみたい。今回はてごわい。ただここ数年、持病とのつき合い方がかわってきた。脳のシワのエントリーで紹介したように「全体」を意識するようになってきた。つまり、「腰」だけでなく、全体のバランスが何かおかしいのだろうと。もちろん専門医の先生方からすれば笑止千万。それでも自分の身体の悲鳴に耳をかたむけると部位ではなく全体に目がいくようになった。仕方がない。

そんな矢先、先週読み終えた 『合気道とラグビーを貫くもの 次世代の身体論』 に興味深い一節に手が止まった。関心のある箇所を瞬時に読み分けたみたい。これがヒトの能力かと妙な気分。

違うよ、内田先生、あなたの右膝は性能が良すぎるの。あなたの体のなかでいちばん優秀な部位だから、ここで身体の全部の歪みを補正していたんです。全身の歪みを右膝ひとつで処理していたから、結果的にオーバーワークになって炎症を起こしているんだから、膝に感謝しなさい

『合気道とラグビーを貫くもの 次世代の身体論 (朝日新書 64)』 内田 樹, 平尾 剛 P.176

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[Review]: 脳のシワ

脳のシワ (新潮文庫)

『脳のシワ』 を読んだ。ふと書棚に目をやり養老孟司先生の著書をずいぶん読んできたんだなぁと気づく。とはいえ専門分野の書籍( 『唯脳論 (ちくま学芸文庫)』を除く)は読んでない。わかる・わからないすら判断できないのでふれてもムダだから。じゃぁなぜ読むか? 対偶がすぅと身体に入ってくる快感。それを忘れられない。あとは、先生のワガママか。先生曰く、「河合さんの訃報を聞いて、私はもっとワガママをしようと思った」という言動は意地悪ばあさんみたいで諧謔にみちあふれている。現象から本質をつかみ取る毒舌ここにあり。

現代社会ほど死が語られ、そのわりには死の蔭が薄い社会はない。昨年、必要があって『平家物語』を読み直した。うかつな話だが、この物語がまさに死者の書であることに、やっと気がついた。ほとんどすべての登場人物が死ぬのである。人が死ぬことはわかりきったことだが、現代人は自分が死ぬとは思っていない。死について語れというが、それだけに自分が死ぬとは本気で思っていないのである。本気で思っていれば、他人から死の話を聞く必要などない。死はそれぞれだからである。

『脳のシワ』 養老 孟司 P.36

先生が指摘するように私も「死に触れた」ことはない。肉親も含め、誰の臨終にも立ち会っていない。小学5年生のとき臨終直前の祖父を見舞った。末期癌でほとんど反応できない祖父に私が大きな声でよびかけ手をにぎったとき、かすかに口元がゆがんだそうだ(私は覚えていない)。

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[Review]: 元刑務官が明かす死刑のすべて

元刑務官が明かす死刑のすべて

鳩山法務大臣が25日の記者会見(福田内閣での留任が報じられる前)で、 「大臣に責任を押っかぶせるような形ではなく執行の規定が自動的に進むような方法がないのかと思う」という趣旨の発言をした。もう自分の留任はないとふんでの放言かどうかわからない。やや失望した。大臣というのは「個人」なのだろうか。私は一市井の人なので法学や行政など専門的知識は皆無。皮膚感覚の愚かな物言いで申し訳ないけど、大臣を機関だと認識している。「刑罰のなかで死刑だけが法務大臣の命令によって執行される」根幹を毀損しかねない発言だと受けとめた。

死刑制度について賛否を問われたとき、「賛否」の二項にとまどいながらも、いまの私は存続に手をあげる。今後どうなるかわからない。ただし、手をあげるとき、以下二点に逡巡する。

  1. 死刑を執行する方々
  2. 冤罪の可能性が残る死刑囚

(言い訳がましく何度も書くけど)法学や行政、それらに関連する知識は皆無。単純に「現場」はどうなのだろうという疑問が残る。ふだんから何事にも現場を大切にしたい皮膚感覚だけの愚問。

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本棚の整理で頭がクラクラ

REAL SIMPLE JAPAN 2007年 10月号の”毎日の暮らしに15分間で楽しさと充実感を”にあったlifehackの「13.本棚の見栄えをよくなる」に納得しつつちと首をかしげる。「見栄えがよい」ことは必ずしも「あつかいやすい」わけではない。以下、経験値。

目立つ色のカバーがかかっていたり、大きさや形が揃っていなかったりして、ごちゃごちゃに見えてしまう本棚。本のサイズに関係なく、奥の空間を余らせるようにして、背表紙を棚板ぴったりのところに揃うように並べ直してみましょう。表面がきれいに揃うと、雑然とした感じが抑えられてスッキリします。棚板の手間の部分にほこりがたまるのも防げるので、掃除の手間が省けます。REAL SIMPLE JAPAN (リアルシンプルジャパン) 2007年 10月号 [雑誌] “毎日の暮らしに15分間で楽しさと充実感を”より

定期的に本棚の整理をする。理由は、

  • 読了の本
  • 未読の本
  • 再読用の本
  • 都度パラパラめくって読む本

なんかを並べたり積ん読と、どんどん無秩序になる。あっという間に何がどこにあるのかさっぱりわからず。結果的にそれを探す時間がもったいない。おまけに探す作業にかかるストレスが蓄積される。よくない。だから整理する。

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仕事の心構え

  • わかっていてもやらないのはわかっていないのと同じだ やっても成果がでないのはやらないのと同じだ
  • できない、無理、難しいという先入観を払い退けよ 問題へ臨む態度が すべてを決する
  • 常に「ほかのやり方」は無いか考えよ
  • やるべきことが決まったらとことん押しつめよ 問題は能力の限界でなく執念の欠如である
  • 人間の能力に差はない あるとすれば「根性」の差だ

土光敏夫

[Review]: 正しく生きるとはどういうことか

正しく生きるとはどういうことか (新潮文庫)

前作、『他人と深く関わらずに生きるには』と比べても内容に大差はない。ただ、いくぶん受ける印象が変わった。理由は前景に思想がおかれたから。前作は後景に思想があった。思想を前景か後景のどちらに描くかは、作品の仕上がりに影響を与える。こうも様変わりするとすこしばかりのけぞった。前景化された思想を原理主義に染めないようにコントロールするのは難しい。その手綱さばきを味わえる一冊。

じゃ、何が書いてあるかって。善く生きるための原理が書いてあるのだ。原理といったって別に難しいことじゃないよ。善く生きるやり方は人によって様々だし、同じ人だって、状況によって変わることもある。[…]この原理をひとことで説明することはできない。ひとことで説明できるのなら本を書く必要なんてないからね。でも、あえて言えば、自分なりの規範を決める、ということかな。

『正しく生きるとはどういうことか (新潮文庫)』 池田 清彦 P.8

池田清彦先生は「自分なりの規範」という。私はこれを規矩と読む(正解かどうかはわからない)。自分なりの規範は道徳や倫理と違う。道徳や倫理は他人が決めた規範だ。本書のいう規範はあなたが決める。

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