世界陸上やっぱり感

為末大選手が男子400メートル障害で予選落ちした姿を視ていて以前から抱いたもやもや再浮上。野次馬の戯れ言として備忘。いつ頃からか、メディアのスポーツ中継に違和感を覚えるようになった。じぶんの観戦がかわったのか、メディアの放映が過剰気味かを検証しなくちゃいけない。でも、やっぱり腑に落ちない。

そんなもやもやした感情を抱きながら、視るとこ視てテレビのスイッチをきってしまった。

  • ドラスティックな映像を編集して感動物語を演出する
  • むやみやたらに選手にニックネームのようなラベルをはる
  • 大声を張り上げるけどあまり中身が感じられない実況

などに辟易してきたし、素人が視ても合点がゆく解説というか、陸上の醍醐味をリズミカルに解説する人がいない、と偏見を持ちはじめたので。

ネットに向かう。

前回銅メダリスト・為末がまさかの予選落ち 世界陸上

今大会を「僕の人生を懸けた一大勝負」と話していた。「野武士」をイメージした長い付け毛の後ろ髪をなびかせ、7レーンを疾走するはずだった。[…]陸上界の「宣伝部長」を自認し、大会の盛り上げに全力投球してきた。5月にはクイズで獲得した1000万円の賞金を元手にしてオフィス街の路上イベントを主催し、ファン拡大に努めた。本業でも昨季はハードルを封印し、ひたすら走力を磨いた。だが「走力にハードル技術がかみ合わなかった」と首を振った。

選手がここまでしないけといけないぐらい陸上界は疲弊しているのかなぁと首をかしげる。ここでも得心できない。というのも、「たくさんの人々に来場してほしい」と選手がクイズ番組にまで出演し、その獲得賞金(出来レースかどうかは別として)をイベントに投資する。じゃ、観戦してみたいと思い、世界陸上のチケットを調べるとガックリきた。感覚的には「世間離れ」した金額と我が目にうつった。まぁ、負け組・貧乏なので、他の方々からすれば妥当かもしれない。わからない。

陸連ってほんとうにファンを拡大したいのだろうか。ビジネスライクに設定した価格。その価格が、一時的に生み出す「利益」と長期的に投資する「費用」をバーターした結果ならしょうがない。ただ、ライブに直接ふれた子どもたちが陸上をはじめる可能性や満員のスタジアムの「空気」が世界中に配信されるとしたらスポンサー企業がさらにあらわれるかもしれないという淡い期待を検討したのだろうか。

損益勘定で計上する赤字と、投資の広告費用として計上する赤字とでは、赤字の「将来」が違う。そのあたりの打算が陸連に働いているのかどうか疑問。

それとやっぱりメディア。以下の記事。

為末が本当に悔しいこと

「競技と違う活動をする選手は結果を出せない、というような思い込みが多くの陸上関係者のなかにあると思うんです。それを何とか吹き払いたいという思いがあるから、今回僕は結果を出したかったんですね。でも、僕がこの結果で終わったことで、他の選手たちに余計なプレッシャーがかかるようになってしまいかねないし……。それは、本当に申し訳ないと思うんです」
選手の意識や、陸上界のイメージを変えていこうとする動き。それに水を差してしまうことは、自分でも納得できないことだ。その点を、為末は危惧していた。

「競技と違う活動をする選手は結果を出せない、というような思い込みが多くの陸上関係者のなかにあると思うんです」という為末選手の主張に正誤を唱えられない。傍観者のじぶんは「ああ、そんなふうに考えているのか」と沈思黙考する。

ただひとつ、「競技と違う活動をする選手」を演出するとき、視聴者や聴衆に錯覚を抱かせる「編集」をしていないかな?

批判を招くだろうどけ、アスリートとしての能力を全知全能に昇華しているようにわたしは受け取ってしまう。アスリートはその世界でトップにたつ能力を天性と努力で獲得した。それを称えるのを是としても、その能力が他の事象に適応できるかのように物語を編集するのは、メディアの役割としていかがなものか。

そういうメディアからの期待が「競技と違う活動をする選手」を造っていないかなぁと。日本以外の各国は、スポーツ選手をどういう風に伝えているか知らないし、その選手が「競技と違う活動をする選手」であったとき、どういう受け止め方をしているのかまったく知らない。

そういう背景を知らないうえに私の勘違いや皮膚感覚で書いたずいぶんいい加減な思いつきだけど、陸連とメディアの「おねがいだからがんばってね」とにっこりほほえむ他責的なふるまいが、私の目にはまとわりついてきた。