字幕版邦画をふつうに鑑賞できる社会

字幕付き邦画もっともっと 障害者、子供と楽しみたい

名画を大きなスクリーンで楽しみたいのは難聴者も同じ。小島さんは「健常者にとっては字幕は気になってしまうかもしれないが、高齢化社会を迎え、人口の5%は聴覚に何らかの障害があるとされる。福祉の観点で、字幕版邦画の上映回数をもう少しだけ増やしていただければ」と話している。

むかし、学校の聴覚検査で軽度の聴覚障害と診断された。聞こえにくいなぁと思うときもしばしある。なので、なんとなくだけどわかるような気がする。字幕版の洋画を観ている私は、あまり字幕を気にしない。邦画に母国語が字幕してあるとどうなのだろう。たしかに気になるのかも。

臆断するに、成熟した社会へ向かう一歩として、「福祉の観点で、字幕版邦画の上映回数をもう少しだけ増やしていただければ」を受け入れる”ゆとり”が必要とされているのでは。

“ゆとり”が適切かどうかわからない。豊かさともいえるか。いずれにせよ、こういった言葉のニュアンスをとらえるとき、おおまかに二つの要素がある。それは、精神面と物質面。

精神面の”ゆとり”や”豊かさ”は人それぞれ。濃淡が違う。だから字幕版邦画について、「気になるなぁ」と思っても、そこはグッと我慢する心構えがほしいかな。目に見えるものではないので時間をかけて醸成していくのが急がば回れ。感度をあげるレッスンもいるだろうし。

他方、物質面。とどのつまりお金。これが問題。

大手の作品はまだ難聴者が映画館で楽しめるチャンスはあるが、中小制作会社にとっては問題は大きい。邦画のフィルムに字幕をつけるには、レーザー光線で全せりふを打ち込む作業など200万円以上の経費がかかるとされ、単館上映もあり得る準大手にとって負担は決して小さくない。

米国と比べ、税制の「寄付金控除」が制限されている日本では、なにかと「補助」に視線がむく。視線がむくから、それが「ロビー活動」へと発展し、何やらよくわからない「団体」を生み出し、本来の目的から離れる。歪めてしまう。

常々、愚考している。成長社会と成熟社会の両輪を稼働させるための税制を議論してみてはと。

「お金儲けが悪いか」という問い、それ自体に違和感を抱くので私の能力では答えられない。ただ、「お金を儲ける」のに反対しないし、どんどん儲けたらいいと思う。資本家がどう使うかは本人次第。

問題は、その本人を振り向かせるだけの「雰囲気」になっていないこと。言葉を濁すけど、税制のほかに礼節というかつつしみというか、そのあたり、まだまだではないかと思う。

本邦の報道は、 ビル・ゲイツジョージ・ソロスウォーレン・バフェットなどのもうひとつの顔をあまりとりあげない。その報道スタイルを一見しても、「寄付」への感覚を推し量れる。ひょっとすると彼らの規矩では「理解」できないのかもしれない。資本家の資本が研究へと投下される。これからその成果が世界へ浸透する。

2006年6月15日の記者会見にて、2008年7月にマイクロソフト社の経営とソフト開発の第一線から退き、「ビル・アンド・メリンダ・ゲ イツ基金」の活動に専念すると発表した。早期に引退し慈善活動に携わることが成功者の美徳とされるアメリカの慣習に法った決断と言える。2006年12月1日までに、財団の資産を夫妻の死後50年以内に全額寄付し、活動を終えると発表した。同基金は「我々が取り組んでいる問題を今世紀中にめざましく進展させるため」と、存続期間を限定した理由を説明している。Wikipedia: ビル・ゲイツ

資本家の資金を吸い上げて再分配する。日本の官僚の方々は再分配のスキームを構築する能力にたいへんたけている。ただ、資金を効率的かつ効果的に活用する叡智からはもっともかけ離れている。だから、そのスキームを構築するテリトリーを最小限度にとどめる。国防と通貨安定と治安。あっ、ずいぶん話がそれた。

とにかく、知識は官僚にあっても叡智は民にあると私は思う。だから、物質面のゆとりや豊かさを支援する枠組みを検討してほしいなぁと。

ただ、最後に一言。寄付を喰いものにする輩も当然登場するので、そのへんが痛し痒し。