月別: 2007年8月

[Review]: 知的な距離感

知的な距離感

この本で説明するプライベートエリアという言葉は、「プライベート(私的な)」という単語と「エリア(空間)」という単語の組み合わせです。心理学や行動学では「パーソナルスペース」と呼ばれることもあります。簡単い説明すると「他人に侵入されると不快に思う空間」です。

しかし、これは土地や住宅の話ではありません。いま本を読んでいる、あなたの周囲をオーラのように包んでいる、見えないバリアのようなもの、と説明すると想像しやすいかもしれません。

『知的な距離感』 P.23

前田知洋氏の著書。著者は日本のクロースアップ・マジック(観客のすぐそばでマジックを披露する)の第一人者。クロースアップ・マジックのマジシャンは「距離感」を大切にあつかう。観客との距離感をはかりそこねたとき、マジックのネタがバレかもしれない。そればかりか、観客から嫌われることすらあるという。著者自身、「プライベートエリア」をはかりそこねて数々の失敗を犯したらしい。

マジシャンがマジックの経験を土台に書くプライベートエリア。ただし、マジック独特の雰囲気を伝えているのではない。周囲との距離感をはかるふるまいは、仕事場や生活で求められる。それにこたえるかのように、本書では、マジックの話のみならず、歴史、建築、脳科学、行動心理学などにふれている。

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たまたまと比較する心

ブロゴスフィアで「格差社会」を書くとき、丁寧に弁証を積み重ねていくか、奇抜なアイデアを持っていないかぎり、「虎の尾」を踏んでしまう。わたしは、そのいずれの才もないので書けない。けど、やっぱりじぶんも参加してみたいなぁという欲望もあって優柔不断。なので、コピー&ペーストの「引用」と「転載」で自慰行為をしてみようかと。以下、引用。愛読ブログからふたつ。

内田樹の研究室: ジニ係数って何?

私自身は「格差」というのは(ひろく「貧富」といってもいい)幻想的なものだと考えている。かつて「一億総中流」という認識がひろく流布しているときには(実際には天地ほどの所得差があったが)日本人は一億総中流気分であった。それと同じように「格差が広がっている」という認識がひろく受け容れられているときには、(実際に所得差がそれほどなくても)格差「感」は強く意識される。[…]人は自分の等身大を原器としてしか、所得差の意味を測ることができないのだが、人が「自分の等身大」と思っているものは、ほとんどの場合、イデオロギー的構築物なのである。

コメント欄がいくぶんにぎわっている。日中関係を述べたときほどでもないけど、内田樹先生のときおりのぞかせる「フツーに考えましょ」的な理路に読み手は反応する。内田樹先生の著書をこのブログやもうひとつのブログでレビューしてきた。批評できるわけもなく、「書いてある意味がわからない」とじぶんを罵りながらいつも読了する。

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世界陸上やっぱり感

為末大選手が男子400メートル障害で予選落ちした姿を視ていて以前から抱いたもやもや再浮上。野次馬の戯れ言として備忘。いつ頃からか、メディアのスポーツ中継に違和感を覚えるようになった。じぶんの観戦がかわったのか、メディアの放映が過剰気味かを検証しなくちゃいけない。でも、やっぱり腑に落ちない。

そんなもやもやした感情を抱きながら、視るとこ視てテレビのスイッチをきってしまった。

  • ドラスティックな映像を編集して感動物語を演出する
  • むやみやたらに選手にニックネームのようなラベルをはる
  • 大声を張り上げるけどあまり中身が感じられない実況

などに辟易してきたし、素人が視ても合点がゆく解説というか、陸上の醍醐味をリズミカルに解説する人がいない、と偏見を持ちはじめたので。

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[Review]: いつまでもデブと思うなよ

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

これでやせられなかったらあきらめるしかないと納得(笑)

そう、私は一年で五〇キロの減量に成功した。体重が一一七キロから六七キロへ。一年前には、自分でも想像していなかった変化だ。
周りの誰もが「どんなハードなダイエットをしたんですか?」「どんな奥の手を使ったんですか?」と私にきいてくる。みんなが知らないようなことは、なに一つしていない。

『いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)』 岡田 斗司 P.7

まずご本人のブログによる「スタイル&顔の遍歴」をご覧いただきたい。百聞は一見にしかず。某巨大掲示板では癌だろ?と疑われるほど変容しちゃってる。驚愕。

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動じない18歳たち

第89回全国高校野球選手権が終わった。開幕戦を制した佐賀北がそのまま一気に頂点までのぼりつめた。最初から最後まで大舞台に立っていた主人公たち。もじどおり旋風をまきおこした。

asahi.com: 「がばい旋風」佐賀北 県立高、努力でつかんだ頂点

快進撃の裏には、たゆまぬ努力が隠されている。土台になっているのは徹底した基礎練習だ。「練習時間が短いことはハンディとは思っていない」と百崎監督。久保は冬場にチーム一走り、タイヤを引っぱった。体力をつけることで自信もつく。九州の強豪校と積極的に練習試合を組み、試合後は必ず選手自身が相手ベンチに出向き、よかった点、足りない点を指摘してもらった。

まったく動じていない18歳たちに惚れ惚れと見入る。あまたの選手のなかでもっとも印象に残ったのは、帝京の左腕エース垣ケ原達也投手。

Sponichi Annex: 横浜 帝京の垣ケ原を緊急リストアップ

準々決勝で佐賀北に敗れたものの、チームをベスト8に導いた。村上チーム運営部門統括は「ウチは左の先発候補が欲しいのは確か。垣ケ原くんはマウンド度胸がいいし、スカウトからの評価も高い」。

ベスト4進出をかけた佐賀北戦。下馬評では帝京有利。ところが、試合がはじまると、強打の帝京打線は沈黙し、延長にもつれこむ。垣ケ原達也投手は、当初の予定と違い、3回から登板。

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[Review]: ことばの顔

ことばの顔 (中公文庫)

ことばはいつもちぐはぐだ。いつも過剰、いつも過少。ことばはそうしたずれを孕んだままでやりとりされる。充足したコミュニケーションなどというものは思ってみたこともない。だが、ことばを表現とか記号というふうにかんがえずに、ふるまいや身ぶりだとかんがえれば、ことばのちがった面も見えてくる。手を差しのべる、ちょっかいを出す、吐き棄てる、歌う、啼く、呟く、遊ぶ、懐深く受けとめる…..。ことばの<顔>というのが気になりだしたのはそれからだ。

『ことばの顔 (中公文庫)』 鷲田 清一 P.283

その<顔>について執筆した断片を一冊にまとめた。ことばを表現として考想せず、ことばにふるまいを挿入して論考する。五感を味わうための<ことば>が目に飛び込んでくる。

鷲田先生の著書を読むと(哲学論考をのぞく、まったくわからないので)、「ことばを粗末にあつかっているなぁ」と自省する。いや、粗末にあつかうというのも的確ではない。あつかいすらできず、口から吐きだしているにすぎない。うなだれる。ことばに対して鈍い。

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学問ができ本を読める毎日

8月15日、高市早苗少子化担当相が靖国神社に参拝した。報道陣は鎮魂に抗い、喧噪と下劣を報じる。高市早苗氏はそれらに乗ずるかのようにこう答えた。

「閣僚が靖国神社に行くことを外交問題にしてしまう勢力があることを残念に思う」

胸中穏やかならずともじっとこらえればよいものを口にする。この文脈自体がすでに「外交問題」の俎上へと載せているにもかかわず。皮肉。氏の知性はその構造に気づいているはず。

今年、ひとりの「母親」が全国戦没者追悼式に参列した。「子」が参列しても「父母」はもうほとんど参列されない。にもかかわらず、「最後になるかも」とご自身が感じ、周囲の反対をおしきったご決断だった。

「最後になるかも」息子亡くした101歳母、車いすで参列

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