パティーナ

いま、NHKが放映している『”ケータイ”デザインの最前線』を視ている。ソニーエリクソンが販売予定の携帯電話についてブレインストーミングしていた。4,5分程度に編集された様子とはいえ、コンセプトが抽出されていくプロセスを目の当たりにして興奮。

「パティーナ」

ラテン語で、「経年変化によって生まれる味わい」という意味らしい。携帯電話の価値は”新しい”だけだろうか。一人の日本人が、メンバーに声をかけた。「ラディカルなことを言ってもいいかい?」と。もちろん、ブレインストーミングのなかでそれを遮る人はいない。

「携帯電話に傷をつけてもいいかな。だって古着に高いお金を払って着る人もいるだろ」と自説をのべたところ、周りから声があがった。

「パティーナ!!」

その様子を視ていた私は、パティーナに興味を持ったわけではない。私の目は、ブレインストーミングによって生み出される「コンセプト」の原動力に向けられる。それが何であるかという疑問。不可思議。

ウェブサイトが議題のミーティングに参加しているとき、己の「皆無」を痛感する。何もない。何もできない。何も伝えられない。何も聴けない。なぜ、クライアントにサイトへと誘因できないのか。クライアントが自社のサイトを駆使するように導けない。だから、ミーティングにならない。報告会、確認会であり、そこには「生む」という行為がすっぽりと抜け落ちている。自分は助産婦のような役割を担っていかなければならない。なのに何の役にも立っていない。

おそらくその焦燥感が、嫉妬と羨望をおりまぜて複雑な気持ちで番組を眺めさせていたと思う。

というのも、ブラウン管の向こう側にいる人たちと、私が支援しているミーティングには明確な違いある。今日、それが手に取るようにわかった。