原発と安全保障

柏崎刈羽所長の会見によって、火災現場の状況が明らかになって不安を増大させているような印象も受ける。

説明によると、3号機の火災現場には、職員ら4人が駆けつけたものの、現場近くにあった消火用配管が壊れていた。このため数十メートルの距離から放水できるはずのホースからは、「1メートルほどしか水が出なかった」という。[…]身の危険を感じた職員らは、火事の近くで見守るか、安全な場所で監視するか迷った末に退避し、約30メートル離れた建物の陰から「見守るしかなかった」という。

初期消火体制や消火能力とか、専門的知識を必要とするような問題について、「何がと何を」を設定できない愚昧にはまったくわからない。とにかく不安だなぁって思うぐらい。それも「思う」だけで、フツーに構えると、私にはどうしようもないからジタバタしても仕方がないなぁと。

今のところマスコミの報道を流し読みしていると、耐震性と管理能力にフォーカスしているように思う。バイアスがかかっているだろうから、違った見地の報道はあるかもしれない。むしろ、違った見地の報道を求めている。

そんなとき、RSSに登録しているメディア・レボリューション「地震と原発」がアップされていた。そこに興味深い一節。報道でも目にするように、現在、エネルギー資源が高騰している。中国が世界を喰いにきたなんて狂騒もあるけど、その理由が記されている。

現在の異常な天然資源の高騰は、中国やインドなどの経済成長がもたらす需給のバランスの変化と、ロシアや中東が資源供給を戦略的に支配していることに起因していると言われている。

新興国と中東、これとナショナリズムが相乗して世界情勢が不安定になるのはまずい。だから代替エネルギーを模索したり、米国が原発の技術を提供し、天然資源が必要とされない「世界地図」を描いている。

これらは、「安全保障」の視点。その安全保障と原発がリンクすると、日本の原子力技術の意義が増す。

原発のブームの中で、日本はユニークな局面にある。唯一の被爆国、地震、京都議定書の地球環境先進国、原発の技術立国。被爆国による原発アレルギーと地震による事故のことを考慮すれば、原発の不安材料が増す。一方、世界情勢の変化と安全保障の視点、並びに高度な日本の原子力技術を目算すると、原発の意義は増す。

一読してなるほどなぁと合点がゆく。で、当然のごとく、安全保障はテロと結びつく。成長国に原発が提供され、エネルギーが安定供給されるようになると、天然資源の高騰を維持できない。原子力に依存すればするほど不利益を被る地域が出現する。そこにナショナリズムがすりよれば、原発がテロの標的に。

裏のブログでもふれたけど、原発がテロの標的にされるかもしれないとカウントしたとき、マスコミの報道の仕方というか、映像の流し方や、情報の質と量など、結構、「あぶない」ものもあるような気がする。

こちらは原発のように技術的な専門知識を必要とするわけでもなく、フツーに愚考すれば帰着するイシューかと。

だから、大将が身軽に現地に飛ぶのは美しい国かもしれないけど、他方、党内からでも選挙目当てのパフォーマンスと批判される可能性はあるわけで。もし、批判を承知で赴いたとすれば、それはそれで「世間離れした」素直な人かもしれない。

自民党の加藤紘一元幹事長は20日、TBSの報道番組収録に出演し、新潟県中越沖地震が発生した16日の安倍晋三首相の被災地視察について「首相は大将なのだから、官邸で指示を出すのが一番よかった」と批判した。

なぜ突然この話題を用いたかというと、世界の関心事と日本の首相がとる行動のズレというか、リーダーシップってこういうときに使う言葉だろうなぁと愚考に愚考を重ねた結果です。