[Reivew]: 感じるマネジメント

感じるマネジメント

日本では当時、ネットバブルが崩壊、米国同時多発テロの影響もあり株価が低迷していました。勝ち組、負け組といった二分論的論調が広がり、また、株主価値最大化の掛け声の下、従業員の解雇や工場の閉鎖といった「合理化」が盛んに行われていました。しかし、「合理的」とされる戦略や指針が、一方で多くの人々の心を傷つけ、企業の中での連帯感や目的意識といったものが急速に薄れていった時期でした。何のために、何を大切にといった「そもそも論」が希薄化していたのです。『感じるマネジメント』 リクルートHCソリューショングループ P.3-4

本書は2002年にさかのぼり、「そもそも論」を追求するところからはじまる。そもそも論とは、理念の浸透。自ら携わったデンソーを舞台に、小説のように「理念」をつづってゆく。理念から発せられる問い。

  • なぜ理念を共有する必要があるのか。
  • 理念共有に当たって、大切な考え方や姿勢があるとすれば、何か。
  • 実際に、どんなアプローチが、理念共有を促すのか。

この問いの答えを探す旅が「感じるマネジメント」である。ただし、本書に答えはない。ちまたで流行するビジネス本のようなHOW TOでもない。「どうすれば理念やビジョンを構築できますか?」という問いには答えてくれない。目に見えない「理念」を共有するプロセスがつづられているだけだ。

だからここに書かれている内容をそっくりそのまま真似ても意味はない。理念はそれぞれの組織にそれぞれに存在し、社員に共有される「仕方」はそれぞれ。

では、「それぞれ」の根本は何か?

その根本を考察しないと理念は掬えない。

興味深いのは、最初に掲げた「理念の浸透」の「浸透」に違和感をおぼえ、やがて浸透という言葉が使われなくなるくだり。きっかけは、イエズス会の重鎮から教わった言葉。

「高津さん、布教という時代は終わりました」P.114

もちろん、宣教や伝道をあきらめたわけではない。つまり、伝道者が上に立ち、下にいる人々に教えを授けるという構図、それが布教というパラダイムであり、もはや布教は機能しないという。

「上から下へ、相手の持っていないものを授けてやるのだ、という考え方はもはや機能しません。いや、もともと機能しないのです。そういうやり方は、西洋の科学技術が世界の最先端を行っていた一時期に、力のない伝道者が安易に技術の威光を借りて行っていた方法にすぎません」P.115

その代わり用いられる言葉、それが「つながり」である。

ただし、本書に登場するデンソーに感情移入してしまうと早計だと私は思う(参照 酷勤務とパワハラでうつ病になったデンソー社員、トヨタを訴える 「死んでからでは取り返しがつかない」)。

気が遠くなるほど、「なぜ」を繰り返し、そもそも論を探求し、他者と対話する。そして、自己と他者のつながりを模索する。このプロセスを少し進んでは立ち止まり、ときに後退もやむを得ない。そしてようやく具現化してくる。

それでも、他者がどう受け取るかはわからない。自分は■と感じた理念を、他者は▲と感じるかもしれない。だからこそ理念は表現され続けなければならない。理念をスローガンとして叫ぶのではなく、物語として語る。

「人間の主な関心事とは、喜びを得ることでも、痛みを避けることでもなく、自分の人生に意義を見出すことなのである」P.197

ビクトール・フランクルの言葉を引用して筆者は言う。

理念とは、組織における最大の「意義の源泉」です。P.197