辞めるための大義名分 「生活が、第一」が霞む

どんどん軽くなってきているような印象。マスコミもとかく言質をとろうと狂騒していて、それにのっかってしまっている。

iza: 攻める小沢代表 「不退転の決意」士気を鼓舞

参院選での必勝を期して退路を断った民主党の小沢一郎(おざわ・いちろう)代表(65)。敗北した場合の責任のとり方として政界引退にまで踏み込んで発言したのは、責任をあいまいにする安倍晋三(あべ・しんぞう)首相(52)との違いを際立たせ、背水の陣を敷いて世論の支持を集めるねらいがある。

失礼を承知で申し上げると、上の記事を「退路を断つ」と表現する執筆者の思惑と小沢氏の豪腕に首をかしげる。「不退転」と言わない。なぜ言わないか。小沢代表自身は不退転を口にできる範疇に棲んでいない。

政治の野望を達成できないという意味では不退転かもしれない。が、仮に辞任しても十分生活できる。その方々が「生活が、第一」と掲げる。掲げられた「生活している人」は自分を含めて「食うに困る人」であって、職を失っても悠々自適な人から単語を発せられると、「辞任」が後押しするかのようにますます軽くなる。

「食うに困る人」とは、今の日本で不適切な表現だと指摘をうけるかもしれない。それはないだろうと。それでも、たとえば私のような個人事業主や中小零細企業の経営者は、矜持をもった言い方をすれば、毎日が不退転であり、倒れたら終わり。

だから私のような天の邪鬼からすれば、辞任なんぞせずに一兵卒にもどって地べたはいつくばってでも、「生活が、第一」を実現できるまで狂えよと愚痴ってしまう。勝ち戦か負け戦かなんて裏で冷静に分析すればいいし、表は凜と構えてのらりくらりと躱せばいいのにと思う。「わかりにくい政治はだめ」だから「わかりやすく」しようというパフォーマンスならもうごちそうさま。

おまけに、渡部最高顧問は尻馬に乗るように「与野党逆転なければ私も引退」と口にした。一本釣りされてろって感じ。

民主党の渡部恒三最高顧問は8日、秋田市で講演し「野党が自民、公明を上回る議席を取れなかったら、小沢(一郎)代表だけでなく私も辞める」と述べ、参院選で与野党逆転が実現できなければ政界を引退する考えを表明した。

「辞める”時”と”大義名分”」を探していたのではないかと勘ぐってしまった。

言葉がどんどん軽くなる。歳を重ねた人の思考と言葉とは到底思えない。渡部恒三最高顧問、歳を重ねるとはなんぞや?