月別: 2007年7月

そもそも論

昨日、クライアントのウェブサイトのミーティングに参加する。「継続は力なり」と「そもそも」を再認識。そして今日、「衛生士として、何を学ぶべきか?」というテーマを別のクライアントから頂戴したので、なにやらリンクさせながら以下、愚考。

「そもそも」とは何か。私の口癖は”ウェブサイトは現場の鏡”。リアルな現場の「空間と時間」が仮想世界に反映される。表裏一体。ミーティングの司会者が私を以下に評価した。

「ホームページが単なる道具であるならシンクセルには頼まない」

この言葉を私に預けたのはなぜか。きっかけは、司会者の方の疑問。意訳するけどご容赦を。

「そもそも論になるけど、ホームページで何を訴えたいのか?」

この「そもそも」が現場の空気を醸成する重要な要素だと思う。というのも、「悩む」組織は多い。が、その「悩み」の根本たる「そもそも」を、経営者、もしくは一部の方々だけが「感じている」にすぎない、という組織もある。「そもそも」を俎上にのせる。それには、各々が考える「そもそも」を言葉に変換して「声」に出さなければならない。その声はどんな「色」か。周囲が確認する。

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[Review]: じぶん・この不思議な存在

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書「ジュネス」)

「わたしってだれ?」「じぶんってなに?」と我に問うた。いつのころからこの問いを五臓六腑に置いたか。もうずいぶんむかし、覚えていない。きっかけが何だったかも忘れた。この問い、本書の冒頭にやってくる。

だれもがそういう爆弾のような問いを抱えている。爆弾のような、といったのは、この問いに囚われると、いままでせっかく積み上げ、塗り固めてきたことがみな、がらがら崩れだしそうな気がするからだ。あるいは、崩れるとまではいかないにしても、なにか二度と埋められないひびや亀裂が入ってしまいそうな気がするからだ。この問いには、問う者じしんをあやうくするところがある。

『じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書「ジュネス」)』 鷲田 清一 P.14

「この問い、どこか立てかたがまちがっているということはないだろうか」と鷲田先生は疑問を投げてくる。この問いを立てたとき、しばし「じぶん探し」が次にやってくる。読み手の私は「じぶん探し」に首をかしげる。

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情報共有に悩む組織

独立してからひとりで仕事をしているので”情報共有”の感覚がずいぶん鈍くなっている。そんなところへ飛び込んできた記事。

「変な会社」が徹底する真っ当な情報共有:ITPro

はてなでは、社員が全員ブログを書いています。業務日報的なものだけでなく、基本的に何でも書くんです。[…]「個人のブログみたいなことを書いても意味がない」と感じる人もいるでしょうか、そうではないんです。[…]社員の置かれている状況や考えを知ることで、管理職の人間が的確にアドバイスしたり、業務上の優れた提案を考えついたりできるかもしれない。だから業務以外の話も書くようにしているわけです。

ここで気になるのは、「書く」を苦にしない人がはてなに勤めたのか、それともはてなに勤めたから「書く」ようになったのか。どっちでもいいか(笑)

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パティーナ

いま、NHKが放映している『”ケータイ”デザインの最前線』を視ている。ソニーエリクソンが販売予定の携帯電話についてブレインストーミングしていた。4,5分程度に編集された様子とはいえ、コンセプトが抽出されていくプロセスを目の当たりにして興奮。

「パティーナ」

ラテン語で、「経年変化によって生まれる味わい」という意味らしい。携帯電話の価値は”新しい”だけだろうか。一人の日本人が、メンバーに声をかけた。「ラディカルなことを言ってもいいかい?」と。もちろん、ブレインストーミングのなかでそれを遮る人はいない。

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[Review]: 逆立ち日本論

逆立ち日本論 (新潮選書)

この対談では、内田さんに大いに語ってもらいたかった。だから私は聞き手のつもりでいた。内田さんの発言は長くなっている部分があるのは、そのためである。あたりまえだが、自分の発言なんて、自分にとっては、なんの参考にもならない。しかも古希に近くもなれば、他人にとっても参考になるかどうか、あやしいものである。それでも相づちだけでは対談にならないから、いわずもがなのことをブツブツと述べた。

『逆立ち日本論 (新潮選書)』 養老 孟司; 内田 樹 P.6

『街場の中国論』の書評で、養老孟司先生が内田樹先生の思考を「対偶」と評したことについてふれた。それが本書。対談中に登場する。

養老: この人はぼくと同じ考え方をする人だと勝手ながら感じました。考える経路が似ているのではないかと思ったのです。ぼくはそれを「対偶」の考え方と呼んでいます。「AがBだ」というときに、「AがBではないとは、どうしたらいえるだろうか」と、反対側から考えてみるんです。「逆さまから考える」と言ってよいのかもしれません。

『逆立ち日本論 (新潮選書)』 養老 孟司; 内田 樹 P.41

対談しているお二人には、共通項が二つある。

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原発と安全保障

柏崎刈羽所長の会見によって、火災現場の状況が明らかになって不安を増大させているような印象も受ける。

説明によると、3号機の火災現場には、職員ら4人が駆けつけたものの、現場近くにあった消火用配管が壊れていた。このため数十メートルの距離から放水できるはずのホースからは、「1メートルほどしか水が出なかった」という。[…]身の危険を感じた職員らは、火事の近くで見守るか、安全な場所で監視するか迷った末に退避し、約30メートル離れた建物の陰から「見守るしかなかった」という。

初期消火体制や消火能力とか、専門的知識を必要とするような問題について、「何がと何を」を設定できない愚昧にはまったくわからない。とにかく不安だなぁって思うぐらい。それも「思う」だけで、フツーに構えると、私にはどうしようもないからジタバタしても仕方がないなぁと。

今のところマスコミの報道を流し読みしていると、耐震性と管理能力にフォーカスしているように思う。バイアスがかかっているだろうから、違った見地の報道はあるかもしれない。むしろ、違った見地の報道を求めている。

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[Review]: 街場の中国論

街場の中国論

『街場の中国論』は、このシリーズの第一作『街場のアメリカ論』と同じく、神戸女学院大学の大学院の演習で私がしゃべったことを録音して、それをテープ起こししたものが原型になっています。[…]こういう「海外事情本」の類は速報性が命ですから、ふつうは少し時間が経つと情報として無価値になってしまいます。でも、私としては、この本をできるだけ「賞味期限」の長い本にしたいと望んでいます。その希望を「街場の」というタイトルに込めました。

『街場の中国論』 内田 樹  P.1-2

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