気魄が稀薄に変容しているような恐怖

毎日新聞: 放射能汚染:原子力科研、国に届けず 匿名手紙で発覚

日本原子力研究開発機構は26日、同機構原子力科学研究所(茨城県東海村)の構内にある共同溝の底面約80平方メートルが、微量の放射能に汚染されていたと発表した。機構は共同溝につながる別の溝などで06年夏に汚染を見つけていたが、国に報告していなかったことも判明した。[…]現時点で環境や人への影響はないが、機構は過去に溝で作業した人などの被ばく状況を調査する。

「放射能を除く作業をしている場所で、汚染が高いまま放置されている場所がある。口外しないように言われた」という匿名の手紙から発覚したらしい。チェルノブイリ原子力発電所の事故が人為的ミスや隠蔽、そして虚勢や奢りから起因 しているのを学んだはず。

究極の安定稼働を求められるはずなのに変化が生じる。その変化の源は「とるにたりない」こと。

もっとこういった情報を報道してほしい、単に「ありました」と報道するだけでなく、問いかけてほしい。

なにか、「無」を冠する行動が生活の周辺に忍びこんできているようで怖い。