わからないままに報道する人々

そろそろ「叩く標的」を変更したほうがよろしいのではと揶揄したくなってきた。報道を読んでいると、素人には何が何だかさっぱりわからないミートホープの偽装ミンチ:lol:

というのも、企業倫理と行政と法律と味覚がごっちゃまぜになっていて、それこそ「まぜてしまえば視聴者にはわからないだろ」とおごっているのかと穿ってしまいたくなる、ほどわからん。Tumblrにクリップして時系列に眺めてもアホなわっちにはさっぱり 🙁

ミートホープの幹部の肩書きから「ああ、同族企業の争族があるのね」なんてかいま見られたり、退職金の赤字決算とか微笑ましい家族のやりとりがあって、社員を解雇にしたら、「やばい、ちょっとフォローいれとこ」的なニュアンスで「私財をなげうってでも社員への保障を」なんて口にするマスコミの方々もいて、呆然と眺めている我に苦笑:cool:

で、十勝毎日新聞の記事。

ミート社と以前に取引があった管内の業者は「ミート社はくず肉(処分品)を全部引き取るので、“最後のごみ箱”と言われていた」と証言、「今でも偽装をやっていたとは」とあきれ返っている。

「今でも」と書いてあるところが香ばしい。内田樹先生の「嘘でもいいから」とかぶってきた。

有権者の仕事の一つは「政治家は堂々と嘘をつく」ということを勘定に入れた上で、その上で「で、あなたはそのような嘘をつくことで何をしようとしているのか?」と問うことであろうと思う。

消費者の仕事の一つは「企業は堂々と嘘をつく」ということを感情に入れた上で、その上で「で、あなたはそのような嘘をつくことで何をしようとしているのか?」と問うことであろうと思う、と書いてみてはいかがだろう。

傍観したり諦観するわけじゃないけど、むかしから嘘をついてきて、いい加減、手口も透けて見えるので、もう何が何だかわからんし、いちいちそんなこと考えながらスーパーに足を運べば入口でぴたりと止まる。

透けて見えるといっても、情報の非対称があるかぎり、「見破る」というわけじゃぁない。冷凍食品を手にとったとき、手首をかえせば、原産国中国と書いてあって、「ああ」とうなづき丁重にもどす。その時点で冷凍食品はもう選択肢からはずされる。その程度しか抵抗できん :-p

情報の非対称については、愛読ブログのひとつbewaadさん(官僚の方に”さん”は失礼だろうけど)が「ミートホープの偽装牛肉ミンチ事件と情報の非対称性」で丁寧に認められていらっしゃる。

そもそも虚偽表示が容易に可能であり、人為的な情報開示体制を整備しないとそれを見抜けないことが根源的理由なのです。経済学用語でいえば情報の非対称性があるということになりますが、よく教科書に出される例としては中古車の品質、現実の事例としては耐震偽装マンションもこの問題の範疇となります。

「安かろう悪かろう、高かろう良かろう」の図式が崩れ、「なにがなんだかわからない」ようになってきた食について、コストを削減したいから大量輸入して、手間暇かけて育てた国内産は海外のセレブに販売する。

情報の非対称性についてもう少し抗いたいけど、両者が薄れてきたのか。非対称の優位の側はおごってしまいがちになって、劣勢の側は疑いはじめた。つつしみとかありがたみが互いになくなってきたのだろうか。「いや、そんなことない」と頑張る人たちは地域へとびだし、「手間換え」の精神でつながりはじめる。

食から少し離れて今回の報道をながめたとき、報道している側も、何が何だかさっぱりわからないまま記事にしているのだろうなぁと思う。事実として報道しているかもしれない。しれない、と書くのは報道も偽装されている可能性もあるし 😉

事実を依拠している記者の立ち位置を記者自身が変更し、企業倫理と行政と法律と味覚を俎上にのせて峻別して調理する力量がない。情報の非対称性に対してメディアは優位にたってないような気がする。あっ、いやメディアは立っているのか。メディアの中の人か。なかば”嫉妬”に近いのかもしれない。

そうやってながめると、食への不信をもちつづけ何が何だかわからないままつきあっていく人と、情報の非対称性なんてあんまり深く考えず手間換えでつながっていく人と、自分が育てない代わりにその手間暇を対価で支払う人と、もう別に何食ってもいっしょだろ何をそんなあわてふためくと首をかしげる人、そんなあたりに分節していくのかななんて。