クライアントのミーティングに参加していると、ふと頭によぎる。それが「今、何を考えているか?」というフレーズ。
始終ともにしていない私は、クライアントと「同じ考え」にならない。そもそも、「同じ考え」というのは何かわからない。
ただ、「同じ考え」にならなくても、「今、何を考えているのか?」を言葉にできる。難しいけど。
たとえば、ある問題が浮かび上がったときや何か事が起きたとき、「それ」にかかりきりなっていないだろうか。
- 解決する手段は?
- アイデアの感想は?
- 実効策の是非は?
「答え」をだすこと自体にきゅうきゅうとする。ひどい話、答えをだして満足していないだろうか?その「あと」があるはずなのに。そして、その「あと」を見つめ直す「時と場所」もやってくる。にもかかわらず、<私>の考えが俎上にのぼって花火のように消えてゆく。観賞にはうってつけかもしれないけど、そう記憶には残らない。
「何を考えているのか?」を言葉にしていくプロセスを共有する
その前、眼前の人たちは、「何を考えているのか?」。「何を考えているのか?」を言葉にしていくプロセスを共有する。
すると、時々、不思議な現象に遭遇する。「同じ考え」にはならないけど、「同じ考え」に近づく、いや、同じ考え「方」をしている。
同じ考え「方」に気づいたとき、導き出された結論が自分の考えと違っても、実行するモチベーションは維持できる。
んな、簡単じゃないかなぁ、やっぱり。