月別: 2007年6月

気魄が稀薄に変容しているような恐怖

毎日新聞: 放射能汚染:原子力科研、国に届けず 匿名手紙で発覚

日本原子力研究開発機構は26日、同機構原子力科学研究所(茨城県東海村)の構内にある共同溝の底面約80平方メートルが、微量の放射能に汚染されていたと発表した。機構は共同溝につながる別の溝などで06年夏に汚染を見つけていたが、国に報告していなかったことも判明した。[…]現時点で環境や人への影響はないが、機構は過去に溝で作業した人などの被ばく状況を調査する。

「放射能を除く作業をしている場所で、汚染が高いまま放置されている場所がある。口外しないように言われた」という匿名の手紙から発覚したらしい。チェルノブイリ原子力発電所の事故が人為的ミスや隠蔽、そして虚勢や奢りから起因 しているのを学んだはず。

究極の安定稼働を求められるはずなのに変化が生じる。その変化の源は「とるにたりない」こと。

もっとこういった情報を報道してほしい、単に「ありました」と報道するだけでなく、問いかけてほしい。

なにか、「無」を冠する行動が生活の周辺に忍びこんできているようで怖い。

カネで雇用をゆする政治家

時事ドットコム: 賞与返納、再雇用の条件に=社保庁職員処遇で-塩崎官房長官示唆

塩崎恭久官房長官は26日午後の記者会見で、年金記録漏れ問題のけじめを付けるため、社会保険庁全職員に夏季賞与の一部を自主返納するよう求めたことに関連し、仮に返納に応じない場合は、同庁を廃止・解体して2010年に発足させる方針の「日本年金機構」への再雇用を拒否することもあり得るとの考えを示唆した。

カネで私の横面をはたいてくる。

ご本人たちは「せめてもの気持ち」で返納しているのだろ(素直に受け取った方がストレスフリー)。他方、社保庁を退職した職員たちに「カネの責任」を求めない。挙げ句の果てが、上の記事。

社会保険庁は解体され、新たに日本年金機構が設置される。Wikipediaによると、日本年金機構は非公務員型の公法人であり、厚生労働大臣の直接的な監督の下で、一連の運営業務を担わせることとある。

現在の社会保険庁のコストパフォーマンスが芳しくないから解体するはずなのに、夏のボーナスを返上しない職員は再雇用しないかもしれないという。本末転倒をスルーしてあきれた。

カネを盾に生活の糧をゆするのは、カタギのやることではない。くわえて、優秀な職員が自分の意志で返納を拒否した場合、再雇用しないのだろうか。

野党のように「カネで解決」やら「カネはパフォーマンス」なんて稚拙なことを申し上げるつもりはない。けじめはけじめであるなら返納すればいい。賛成も反対もなく、淡々と受け入れる。しかし、そのカネをゆすりに使うのを看過できない。

「何をすべきか」をすでに忘れてきたのか。

「一年以内に解決する」という宣言が技術的言明政治的言明のどちらであってもよい。首相の腹芸もその腹芸をさぐる評価も、野党の批判も、「首相の言葉」と同じ質と軽さにしか私にはうつらない。言葉が臨界に達した。どちらの言葉も届かない。

矛盾する。

短期中期長期をふくめたロードマップを提示し、その実行策と進捗状況を国民が「もうそこまで伝えなくてもいいですよ」と辟易するぐらい詳細に報告し、粛々と実行してほしいと願うだけだ。

言葉の限界を痛感しつつも言葉をはけ。そしてその矛盾をかかえてただただ汗を流せ。

わからないままに報道する人々

そろそろ「叩く標的」を変更したほうがよろしいのではと揶揄したくなってきた。報道を読んでいると、素人には何が何だかさっぱりわからないミートホープの偽装ミンチ:lol:

というのも、企業倫理と行政と法律と味覚がごっちゃまぜになっていて、それこそ「まぜてしまえば視聴者にはわからないだろ」とおごっているのかと穿ってしまいたくなる、ほどわからん。Tumblrにクリップして時系列に眺めてもアホなわっちにはさっぱり 🙁

ミートホープの幹部の肩書きから「ああ、同族企業の争族があるのね」なんてかいま見られたり、退職金の赤字決算とか微笑ましい家族のやりとりがあって、社員を解雇にしたら、「やばい、ちょっとフォローいれとこ」的なニュアンスで「私財をなげうってでも社員への保障を」なんて口にするマスコミの方々もいて、呆然と眺めている我に苦笑:cool:

で、十勝毎日新聞の記事。

ミート社と以前に取引があった管内の業者は「ミート社はくず肉(処分品)を全部引き取るので、“最後のごみ箱”と言われていた」と証言、「今でも偽装をやっていたとは」とあきれ返っている。

「今でも」と書いてあるところが香ばしい。内田樹先生の「嘘でもいいから」とかぶってきた。

有権者の仕事の一つは「政治家は堂々と嘘をつく」ということを勘定に入れた上で、その上で「で、あなたはそのような嘘をつくことで何をしようとしているのか?」と問うことであろうと思う。

消費者の仕事の一つは「企業は堂々と嘘をつく」ということを感情に入れた上で、その上で「で、あなたはそのような嘘をつくことで何をしようとしているのか?」と問うことであろうと思う、と書いてみてはいかがだろう。

傍観したり諦観するわけじゃないけど、むかしから嘘をついてきて、いい加減、手口も透けて見えるので、もう何が何だかわからんし、いちいちそんなこと考えながらスーパーに足を運べば入口でぴたりと止まる。

透けて見えるといっても、情報の非対称があるかぎり、「見破る」というわけじゃぁない。冷凍食品を手にとったとき、手首をかえせば、原産国中国と書いてあって、「ああ」とうなづき丁重にもどす。その時点で冷凍食品はもう選択肢からはずされる。その程度しか抵抗できん :-p

情報の非対称については、愛読ブログのひとつbewaadさん(官僚の方に”さん”は失礼だろうけど)が「ミートホープの偽装牛肉ミンチ事件と情報の非対称性」で丁寧に認められていらっしゃる。

そもそも虚偽表示が容易に可能であり、人為的な情報開示体制を整備しないとそれを見抜けないことが根源的理由なのです。経済学用語でいえば情報の非対称性があるということになりますが、よく教科書に出される例としては中古車の品質、現実の事例としては耐震偽装マンションもこの問題の範疇となります。

「安かろう悪かろう、高かろう良かろう」の図式が崩れ、「なにがなんだかわからない」ようになってきた食について、コストを削減したいから大量輸入して、手間暇かけて育てた国内産は海外のセレブに販売する。

情報の非対称性についてもう少し抗いたいけど、両者が薄れてきたのか。非対称の優位の側はおごってしまいがちになって、劣勢の側は疑いはじめた。つつしみとかありがたみが互いになくなってきたのだろうか。「いや、そんなことない」と頑張る人たちは地域へとびだし、「手間換え」の精神でつながりはじめる。

食から少し離れて今回の報道をながめたとき、報道している側も、何が何だかさっぱりわからないまま記事にしているのだろうなぁと思う。事実として報道しているかもしれない。しれない、と書くのは報道も偽装されている可能性もあるし 😉

事実を依拠している記者の立ち位置を記者自身が変更し、企業倫理と行政と法律と味覚を俎上にのせて峻別して調理する力量がない。情報の非対称性に対してメディアは優位にたってないような気がする。あっ、いやメディアは立っているのか。メディアの中の人か。なかば”嫉妬”に近いのかもしれない。

そうやってながめると、食への不信をもちつづけ何が何だかわからないままつきあっていく人と、情報の非対称性なんてあんまり深く考えず手間換えでつながっていく人と、自分が育てない代わりにその手間暇を対価で支払う人と、もう別に何食ってもいっしょだろ何をそんなあわてふためくと首をかしげる人、そんなあたりに分節していくのかななんて。

自分は不要の食育

時事ドットコム: 食育「自分は不要」=民間調査に過半数の母-栄養士の8割「親にも必要」

「親に対する食育」を望む栄養士は8割、「自分にも必要」と感じている母親は半数以下-。食品会社「日本ケロッグ」(東京都新宿区)が、食に対する関心や知識を高める「食育」について、全国の小学生の子を持つ母親と学校栄養士を調査したところ、両者の意識の違いが浮き彫りになった。

食育の現場にたずさわる方々もうなづく結果なのでしょうか?

このあたり営利・非営利問わず「機会」があるような印象をうけます。お子さんの歯を大切に育てる観点から、歯科医院の先生方もこの問題にとりくまれているように見聞します。

善悪の価値観はとりあえず横へ置くとして、近くのイオンに足を運ぶと、平日でもファーストフードやデザート屋さんに、「えっ、こんな時間に?!」とかお子さんが率先してキャラクターグッズを選びながらメニューを口にしている姿を、子供のいない私は結構興味深く眺めています。それぞれの家庭で諸事情はありますしね。

先日、SUGAKIYAと蓬莱の豚まんのことでパートナーと話をしていたとき、ふっと口にした言葉が残っています。というのも、私が子どものころ、大阪(東大阪市)にはSUGAKIYAはなく、それに551も豚まんよりもアイスキャンデーを食べていました。

だから、「小さいときに食べたことがないからあまり食べない」と衒いなく口にしたらパートナーは驚いた様子。でも、確かにそんな食べ物が多いような気が。

そういえば、ウソかホントか、昔、マクドナルドの創業者の話でこんなこと聞いたことがあります。

「三歳までにマクドナルドに来店させろ」

三歳までにマックシェイクやハンバーガーを食べてもらい、その味を「標準」にしてもらえれば、大きくなっても足を運ぶといった話です。

だいぶ食育から話がそれましたが、私は歯科医院のサイトをお手伝いしてますので、このあたりの情報発信や企画をお手伝いしたいところです。

食卓にならぶ野菜や総菜の「もと」を想像しながら一緒に食べる人と話をすると勉強になりますし、またどうやって作られて市場に出されるのか知ると、ほんと感謝です。

音楽と記憶の仕組みを知りたい

ここのところYouTubeから音楽を聴いている。データ通信料が多いユーザーは規制されるのでこれも今のうちかもしれない。ついにキタという感じです。ただあんまりよくわかっていませんが。

ところでYouTubeで音楽を聴いていると、突然過去の記憶が音楽とリンクして鮮明に甦る。脳裏に映像と台詞が駆けめぐり、目の前のPVを観ているようで過去に足を踏み入れている自分に気づきヒヤリ。たとえば、マドンナを旅していて、

に出逢ったりすると、一瞬で中学時代がやってくる。といっても、物語になっていない。時々のシーンが脈絡もなく表出しては消失。映像と言葉が断片なのに鮮明。こんな感じで。

記憶とは何だろう。

音を覚えていれば、言葉をとどめている。ときにそれが融合されていたり。マドンナのようにその時代、私のトレンドだっただけで、なぜかリンクしている。material girlを聴くと同時に思いうかぶ人たちがいて、その人たちは一人のときもあれば大勢も。

しかも、それがほぼ自動的というか意識しているのだろうけど、あまり自覚せずに記憶が到来する。

私にとって音楽は聴くのも好きなんだけど、どちらかというと記憶をたぐりよせる道具であって、記憶の宮殿に誘ってくれる道標なのだろう。だから、悲しい部屋に足を運べば、音楽を聴きながら泣き、楽しい部屋にたたずむと笑顔がこぼれる。

同時に、記憶のなかで息づいている人たちは、時間と空間のなかで何をしているのかが現在と過去に交差する。でも、自分のなかの映像はそのときで止まっていて、現実の<顔>は違っているのだろう。

裏を返すと、記憶をたぐり寄せられない、引き出すことのできない、入ることのできない部屋が存在すると認知したとき、恐怖に震え上がる。後悔する。思い出せない怖さ。ほんとうに今の記憶が正しいのかどうかわからない。<顔>は正確か、声は間違っていないか、それすらも思い起こせないとき愕然。いやだ。

不思議。音楽と記憶の仕組みを知りたい。

シビリアンコントロール

ベタ記事扱いかもしれないけれど釈然としないため備忘。釈然としないというか、あまり報道されない小事に不安をいだく。民主党の議員に対して懲罰動議が提出され、その動議を突き返した横光克彦委員長(民主党)に対して不信任動議を提出した。そして、過半数を占める与党によって可決。60年ぶりの委員長の不信任動議。

与党は18日午後の衆院懲罰委員会で、民主党の内山晃衆院議員(比例南関東)の懲罰動議をめぐり運営が不当として、横光克彦委員長(民主党)に対する不信任動議を提出、自民、公明の与党などの賛成で可決した。民主党など野党は欠席した。衆院事務局によると、委員長の不信任動議が可決されたのは昭和23年以来で、約60年ぶり。

安部総理はことあるごとに「戦後レジームからの脱却」という。が、戦後間もない手法を踏襲している。政治は結果でありより多くの法案を通すという主張に賛同できる。そのために必要な「数」も現実として受け止める。問題は、「数」ではない。

そうでないところに背筋が凍る。数を与えられたことを、「権力=独裁」かのように錯覚したふるまい。「数」と「折り合い」を冷静に分析できない稚拙さに憂慮する。多数であっても自己査定する悟性を備えていない。論理の飛躍を承知で震えると、こういう小事からシビリアンコントロールが崩壊するのかもしれない。

そして、iきょう国会会期延長を正式決定するそうだ。12日間の延長。国会の運営費は年間約1,000億円、1日約3億といわれる。この延長によって36億円が「投資」される。

ここにも配慮が足りない。折り合わない。本当かどうか知るよしもないが、参院選1ヶ月前にして会期延期が決定して、かつ選挙が延長するのは異例という。なぜ、もう少し早く決定しなかったのだろうか。29日は夏休みに突入し、各自治体では行事があり混乱している。告知用ポスター、掲示板などが差し替えられていく。

安倍晋三首相は21日、公明党の太田昭宏代表と会談し、23日までの今国会会期を7月5日まで12日間延長することを正式に決める。延長は22日の衆院本会議で議決される見通し。教育再生関連3法案とイラク復興支援特措法改正案は20日の参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立した。

自らを変革する意志のない方々、他者へ「変化」しろという。失礼千万を承知で罵倒しよう。私がここ数年感じ始めた愚考を。

「変わらないために変わり続けなければならない」