国務大臣

市井の徒としてログをのこしておきたい。一家言や知見の目をもっていない。違和感をいだくままにつづる。今回の報道をながめていて、「軽さ」が私にまとわりつく。気になる。

国務大臣 をWikipediaでひく。委細が正確でないと承知。

国務大臣はその在任中、内閣総理大臣の同意なくして訴追(※)されない。法律及び政令には国務大臣の署名を必要とするなど様々な制約や特権がある。

国務大臣 – Wikipedia

学校で「大臣は逮捕されない」と教わり(もちろん細部をはしょった記憶)、それが今回気になった。「現職の国務大臣が自殺したのは戦後初」と報道する機関は多いし、その後には「異例の事態」とつづく。

私が気になったのはそこから先。「異例の事態」で終わり、「異例」の中身を吟味する機会にお目にかかれない。たぶんどこかではふれているのだろう。私の収集能力の問題。とはいえ、異例の先は、故人に向いているような印象を受ける。

国務大臣に与えられた権限、特に内閣総理大臣の同意なくして訴追されないほどの権限をあたえられる意味。それほどの重責を担うゆえの国家機構であると愚考する。どこかの知事が「死をもって償う」と宣ったとはいえ、その「責務」が放棄されたと私は受け取った。国家機構に死もなにもない。

死屍に鞭うって申し訳ないと頭を垂れる。個人を焦点にしたくない。

国務大臣という機構とそれを担う責務、責務が放棄された事態に向き合う。政治と報道はそれぞれへ反応する。だが、両者とも「軽い」と感じた。

闇の部分を解明したり、政治とカネを追求するのは大切だと思う。ただ、今報じられているのは事例や事象であって、それら要素を含む全体、うまく書けないし、適切な語彙を発見できないのではがゆいけど、もう一つ上の視座で事物を語るひとが少ないのはなぜだろう。

それぞれの顔が沈痛な表情をうかべているのとは裏腹に、救済の名のもと、朝に提出された法案が深夜に採決される。数字と顔色をうかがいながら、通過させる法案が朝令暮改のごとく順位として変動する。そこにもなにやら薄気味悪い「軽さ」が私を襲う。

あくまで私が感じた「軽さ」であって、別にどうでもいいと内心罵り、恥じらいながら駄文を重ねる。この「軽さ」を子供たちはどう受け取ったのか。そもそも知らないのか、興味がないのか。通過点か。

いずれにせよ、”死”に重いも軽いもないと私は愚考しているが、なにやら”死”が重く受け止められ、”責務”が軽く流されているように被害妄想している。得体の知れない闇に遭遇したような気味悪さが残った。