[Review]: 生きて死ぬ私

生きて死ぬ私 (ちくま文庫)

今まさに時間が流れているということ、そして、そのような流れる時間の中に私たち人間が存在しているということ、そして、そのような時間の流れの中で、私たちがさまざまなことを経験し、考え、意思決定しているということ。このようなことを思うと、私たちの存在の不可思議は、時間の流れの不可思議と深く関係しているということがわかる。私たちの生も死も、時間という舞台の上で演じられるドラマである。人間存在を理解するためには、時間を理解しなければならない。 生きて死ぬ私 P.57

出版当時33歳。羨ましい、33歳にしてこんなテキストを書けるのかとため息をついた。歳は関係ないのだろう。感じることができる人は感じ、表現できる。感性をまとっているかどうかだけ。

「今」と「少し前」—–両方<私>であっても、その差異を認識できるのはなぜか?「時間」と「記憶」は深くかかわる。

しかし、33歳の茂木先生がふれていないことがひとつある。

「記憶」を失った人に魂は存在するのか?

人の心から情感が抜けていき記憶が失われつつあるとき、「人が壊れた」というのだろうか。その時、「あの人には命がなくなった」と判断できるのは、私かあなたか。

「人間存在を理解するためには、時間を理解しなければならない」としたら、気の遠くなるようなもがきを経て、「時間を共有できる喜び」が我が身にやってくるのかもしれない。一瞬を「共有」できたかどうかを私には確認できない。ただ信じるのみ。